隠して、躊躇って、そうしてまた美鶴がどこかへ行ってしまうくらいなら、堂々と宣言していた方がいい。
ゆっくりと瞳を見開き、顔をあげた。目の前には民家。入り口には、表札の隣に木と紙で作られたプレートが下げられている。
【唐草ハウス】
美鶴がツバサと出会った場所。コウが里奈と再会した場所。そこに今度は、聡が立っている。
門柱の先には庭が広がり、その奥には二階建ての民家。閑静な住宅街にあって、その佇まいは馴染んでいる。唐草ハウスのプレートが無ければ、気に留める者などいないだろう。
聡は門の前で大きく息を吸った。そうして唇に力を入れ、大きく一歩を踏み出した。
呼び鈴を押して出てきたのは、若い女性だった。大学生らしい、十歳も離れてはいないだろう相手は、聡が用件を告げると、不審そうに眺めてきた。
「どういう関係?」
頭のてっぺんから一通りを観察し、不躾に聞いてくる。
「悪いけど、素性のよくわからない人の面会は控えてもらっているの」
素性のよくわからない人。
イラッとした感情が湧き、眉間に皺が寄る。
「名前言やぁわかるよ」
ぶっきらぼうな返答に相手はますます表情を険しくさせ、そのまま無言で奥に引っ込んだ。
なんなんだよ。
無造作に項に腕を伸ばす。髪の毛の結び目を握っては離す。
長髪ってのが気に入らなかったのか? 今時、こんなんで人を判断するヤツがいるとは思わなかったよ。特にこういう場所では、誰でも公平に対応されるもんだと思ってたんだがな。
爪を噛み、ふと視線をあげる。その先で、クリクリとした瞳がこちらを見ていた。
不快感が一気に増した。上目遣いで不安そうに肩を竦めるその姿が、聡に苛立ちを与えた。
「びっくりした」
まずそう口にする里奈。背後から、先ほどの女性が小声で囁く。
「虐められそうになったら、すぐに大声で呼ぶのよ」
「大丈夫」
里奈は曖昧に笑い、そうして一歩前へ出る。
「どうしたの? わざわざ」
聡は顎で背後を指す。
「出ろよ。こんな狭っ苦しいとこで話なんかできねぇ」
里奈はコクンと頷き、下駄箱から靴を取り出した。
「外には出ないでね。また何かあると大変だから」
背後からの声に軽く手をあげ、里奈は聡の後ろをヒョコヒョコと付いていく。
「ごめんね。出ちゃ駄目だから、庭でね」
里奈の声に振り返る。
「俺は信用されてねぇみてぇだな」
「ゴメンね。また澤村くんの時みたいな事が起こったら大変だって、みんな気にしてくれてるの」
「澤村、か」
口にした途端、怒りが沸いた。
美鶴を泣かせた張本人。
そうだ、きっと美鶴は泣きたかったに違いない。泣きたいほど辛かったはずだ。でなければ、こんな事はしなかったはずだ。こんな事にはならなかったはずだ。
里奈と別れて、聡にも告げず、ワケのわからない唐渓なんて学校に黙って入学なんてしなかったハズだ。
それもやっぱり、原因はコイツ。
「突然でびっくりした。でも嬉しい」
おどおどとしながら、それでいてどことなく弾んでもいるような声。
聡は無償に腹が立った。自分が訪ねてきた事を素直に、何の疑いもなく喜ぶ相手が、気に入らなかった。
なんて甘いんだ。なんて幼稚なんだ。だから嫌いなんだ。
だいたい、なんでコイツがこんなにも楽しそうにしているんだ?
美鶴を変えてしまったのもコイツ。俺と美鶴が離れてしまった原因もコイツ。澤村に美鶴が捕まったのもコイツのせい。挙句、好きだなんて叫びやがって抱きついてきやがって、お陰で俺は迷惑三昧。美鶴にどう思われているのか不安でたまらない。
そもそも、俺は美鶴に受け入れてもらえなくってあれこれ悩んでるってのに、どうしてコイツがこんなにも楽しそうにしているんだ?
腹が立った。その態度が、その表情が、仕草の一つ一つが気に入らない。
「時間もねぇから手短に言うけどよ」
聡は、視線も合わせず吐くように言う。
「俺はお前が嫌いだ」
吐き捨てる。
「大っ嫌いだ。だからこれ以上、俺には関わるな。俺にも、美鶴にもだ」
里奈は大きく目を見開いた。何も言わず、ただジッと聡を凝視し、瞬きもせずに立ち尽くした。
泣き出すか?
冷めた感情で、しばらく相手の出方を待つ。
それとも茫然自失? これ以上待っても無反応か? 他愛のねぇヤツ。
鼻で笑って背を向けようとした時だった。
「美鶴とは会わないよ」
小さな声だった。里奈はもともと大きな声は出さない。
「美鶴とは、もう会わない」
見ると、いつの間にか里奈は少し視線を落とし、両手の指を腹の辺りで絡ませていた。
「美鶴には、もう頼らない」
「それはよかった」
聡は口元を歪める。
「これで、美鶴がお前に迷惑を被られる事もなくなるワケだ」
「悪かったのは私かもしれないけれど」
里奈は相変わらず俯いたまま。だが、その声は震えてもおらず、怯えてもいない。
「でも、美鶴だって悪いんだ」
「美鶴のどこが悪いんだっ」
聡の声に、里奈の肩がビクッと震える。だがそれでも身を引いたり、下がったりする事はしない。
怖くないよ。
瞳を閉じる。
怖くない。
「だって私、美鶴に何も悪い事なんてしていないもの」
それが里奈の出した答え。
ずっと考えていた。あの日、聡が美鶴の腕を取り、顎を取って向かい合っている現場を目撃してから、ずっと考えていた。
私は、どうしてあんなに酷い事を言ってしまったのだろう? どうして美鶴へ向って、最低だなどと言ってしまったのだろうか?
最低なのは私だ。ずっとそう信じてきた。
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